こころのクセ
=近所の朝潮運河を行く石川丸=
13日午後、審査委員の先生への博士論文のお届けを無事終了。
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私が育った「いえ」では、私は何においても「足りない」娘で、自分たちが思い描く娘像と全く違うということに、とても優秀な人たちだった両親はよく腹を立てていたものだった。
タイプが違う人間なのだから仕方ないよねと半ば諦めつつ、はやり親のことを嫌いにはなれなくて、子ども時代はなかなかハードだった。
社会に出て物理的にも経済的にも独立して、自分の責任で生きてきたつもりだった。でも、「それじゃダメ、足りない」という幻の声に追い立てられてしまっていた。
そう気づいたのは40歳で会社を「卒業」して大学院に進学してからだ。
もともと学ぶことは嫌いな方ではなかったのに、色々とやりたいことがあったのに、いつも「考えが足りない」「浅はかだ」と一笑されて相手にもしてもらえなかった。そんな記憶も蘇った。
社会に出てからの環境も拍車をかけた。就職した会社は女子トイレもなかったくらいの男性社会で、「女のくせに」「女なんか」という上司・同僚が少なくなかった。人の2倍3倍頑張っていないと存在してはならないような、そう感じる心のクセを強固にしてしまった。
でも、トラ娘を産んだ時に思ったのだ。
そこにいるだけで可愛いよね。そこにいてくれるだけでいいじゃない。きっと私もそうなんじゃないかな、と。
いつも「足りない」と考えてしまいがちな妙な心のクセを手放して、せめて私はトラ娘の思いや夢を笑い飛ばすことだけはしないようにしよう。自分のことももっと大切にしよう。会社を卒業した大きな理由の一つには、そういう心境の変化もあった。
この10年、いろいろな友人や仲間の力を借りて、自分の時間や自分の人生を取り戻しながら、やらなくちゃいけないことばかりを山積みにしないで、のんびり自分のペースで生きようと努力してきた。つもり。
でも、まだまだ足りてませんでしたわ。オホホホのホ。
時差ぼけに夏バテで体調を崩して、思い描いていたペースでことが運んでいかなかったことで、自分にダメ出しを繰り返し、胃にポリープ作っちゃったし。
でも、こんな私も随分成長したのだ。一時は親のことを恨んだけれど、今は前を向こう、自分の人生は自分の責任だからと思えるのだから。
やっかいな心のクセに、めげずに立ち向かおうと思えるのだから。
(September 13th 8:56pm)
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