チャシマン王子と水玉のマント
土曜日午後、トラ娘は無事にバイオリンの小曲を弾いた。
日曜日午前、引越し先がだいたい決まった。
「フッ。僕がうまくいく魔法をかけたからだよ」
プリンス・チャシマンちび助が宣う。
「だから、だからー、おいしカリカリおくれ〜!」
王子といいながら、カリカリゲットのためには低姿勢になってみたりして(笑)。
☆ ☆ ☆
引越し先のベランダからは、かすかに海が見える。
こんなことろに住むなんて自分ではとても意外。
東日本大震災の津波で福島・浜通りにある第二のふるさと(祖父母宅)周辺が壊滅状態になってから、地震と海のそばがとっても怖くなってしまったのだ。
あの日、勤務していたビルも大揺れに揺れて、私自身死ぬんじゃないかと思ったし、トラ娘の安否も夜6時半くらいまでわからず、本当に怖かった。真夜中過ぎにようやく帰宅して目に飛び込んできたのは、東北の悲惨な状況だった。そして、詳細は省くけれど東日本大震災(の原発事故)がきっかけで行方不明になった祖母は、10日後に発見されたものの衰弱が激しく、震災からちょうど1カ月後に亡くなった。
かなり深くて大きなトラウマになっている。地震、津波......。本当に怖くて怖くて、正直、PTSDのような反応が出る。3月11日前後は体調も悪くなる。
そんな自分が海の見える場所に引っ越そうとしている。トラウマが消えたわけでも、地震と津波がへっちゃらになったわけでもないのに...。
精神保健や心理学の分野でレジリアンスという言葉がある。もともとは物理学用語で、衝撃を受けて凹んだ物体が、自らの力で復元することを言う。私にもレジリアンスはあるんだろうか、いつかは大丈夫になる時があるんだろうか、どうしたらいいんだろうかと切実に思ってきたのだけれど、今回の引越しのような外的要因による荒療治で、大きく変わっていくのかも知れないと思う。
もしかしたら、微かに、少しずつ、凹んだ心が回復してきていたのかも知れない。
チャシマン・マダラン・バイオリン。
言い換えるとチャシマン・ちび助と"まだら子"ともちゃん、そしてバイオリン(を弾くトラ娘)。
引っ越しにあたって、この3つだけはどうしてもはずせなかった。
トラ娘の通学が楽になる地域で、さらにこの3つがOKな物件は本当に少なかった。この3つを快くOKと言ってくれる物件は事実上一つしかなくて、引っ越すなら選択の余地なくここで決まり。
去年まで、いや少し前の私だったら絶対にダメだっただろう。チャシマン・マダラン・バイオリンがなかったら、海の見える場所なんて住もうなんて想像することすらなかっただろう。
猫と娘という守るべき存在があって今の私がある。もっと正しく言えば、猫と娘によって救われて生きてきたということなのだ。そして、彼らとの生活をOKにしてくれた夫がいてくれてこそ。
命があれば、もうそれだけで十分。家族が無事なら、それだけで十分幸せ。他に何もいらない。3.11のあの時に心の底からわいてきた、魂が言った言葉。私は生きてるんじゃない、生かされているんだと気付いた学生時代のある日。
そんなこと、そんな瞬間を、引越し先決定と一冊の本によって思い出した2015年の年末、12月27日でした。
その本はこちら。
(December 28th 07:34am)