茶トラ坊主とサビ柄お嬢ちゃまの猫2匹と暮らす日々。トラちゃんことヒトの子(娘)と夫もおりますです♪

猫?は見ている。。。

左から今は亡きヒロノシン、シズカ、ノドカ。いい子たちだった
Tabby & Marbleの前に、うちには3匹の子がいた。ヒロノシン(ノッチ)、シズカ(シーちゃん)、ノドカ(ノンノン)。彼らは人生のほとんどを東京で過ごしたのだが、実は3匹とも大阪生まれ。ヒロノシンは箕面市にある明治の森国定公園で捨てられたのか親とはぐれたのか、ごくごく小さい時に一匹でいるのを保護された。シズカとノドカは豊中市の民家で同じ両親のもとに2年違いで生まれた姉妹で、縁あって私のところにやって来た。

 ノッチは人が良くてお人よし。とても優しくて面倒見がよかった。後からやってきたシーちゃん、ノンノン、そしてヒトの子トラちゃん(早い話がうちの娘)のことまでよく面倒をみてくれた。妹たちの毛づくろいもまめにやり、眠っているヒトの毛づくろいまでやるので、朝起きたらへんな寝ぐせがついてる、ということもしばしばだった。甘えん坊で抱っこが大好き。抱くと目を細めてフガフガと喉を鳴らしていた。

 シーちゃんは知的でお茶目なお嬢様。自分の何倍もの重さの物を運んで部屋の模様替えをしたり、お風呂場の排水溝の蓋を開けて風呂桶の下を探検したり、洗面所の栓を飛ばして遊んだり。ほんわかのんびりしているかのように見えて、蚊を一発で仕留める鋭い感覚の持ち主でもあった。ラッコ寝とほふく前進が得意な不思議ちゃんだった。

 ノンノンはマイペースなおてんば娘。狭い部屋の中を縦横無尽にピョンピョン飛び跳ね、三角飛びで方向を変えながらダダダーと走り抜けていく。時々激突されると痛かった。抱っこされるとエッ、エッ、っと喜びの雄叫びをあげる甘えん坊でもあり、かと思うと、トラちゃんの就寝時はもちろん、昼寝にも必ず寄り添う律義で妹思いなところもあった。

 3匹はごはんやおやつをおねだりすることはあっても、文句を言ったり、不平不満を口にすることはなかった。入りたい部屋や行きたいところがあると、その前に行って丁寧に「お願い」をしたし、「そこはダメ」と伝えると素直にきいてくれた。台所の台やコンロ、リビングのテーブルには上がったらダメと教えたら、絶対にのらなかった。シーちゃんもノンノンもトイレに行けなかったのは亡くなる直前の半日だけ。ノッチは心臓発作で亡くなったので、15年ちょっとの生涯で一度もトイレの失敗はなかった。

 そんな彼らと十数年を過ごしたものだから、私はすっかり猫はみんな話の分かる、手のかからない子たちだと思い込んでしまっていた。

 ところが、4年前やってきたTabbyこと「ちび助」も去年家族に加わったMarbleこと「ともえ」も、なかなか手のかかるやつだった。ちび助は自己主張が強くて、ウェイウェイ、ワァワァと文句は言う、ダメといっても台所のコンロにあがってひげを焼く、テーブルに上がっておかずをくすねる、パソコンのキーボードの上に座ってお尻入力をする、風呂場探検を禁止されると風呂場のドアに体当たりしての抗議までする。ともちんはなかなか私に慣れてくれなくて(夫と娘には即なついたのに)私の顔を見たら逃げてくし、慣れたら慣れたで独特なトイレの行動で、手がかかる。

 ちび助もともちんも、どうして私を困らせるんだろう、先代の3匹は本当にいい子だったのに。そんな風にうらめしく思ったこともあった。

 でも、今は分かる。ちび助やともちんが困ったちゃんなんじゃない。ノッチとシーちゃん、ノンノンたちができた猫だったのだ。というより、私のレベルに合わせてくれていたんだろう。私に世話をさせてるように見せながら、実は私を守り支えてくれていたのだ。

 あるいは猫の神様みたいな存在がいて、「アレ(私のこと)は仕事だ何だで自分のことで精いっぱいだから、手のかかる猫を送ったら共倒れの危険あり」と、いい子たちを派遣してくれたのかも知れない。

 そして今、手のかかる坊やとお譲ちゃんがうちにいるということは、少しは私も成長したと認めてもらえたのだろうか。

 猫(や猫の神様)は人をよーく見ている。最近そんな気がしている。少なくとも私の場合、そうやってうまく猫の下僕として養成されているのだった。

http://tabbyandmarble.hateblo.jp/